色々思い出すこと

三吉

2011年06月20日 12:20

今週は雨ですね。

シーバス釣りを始めて8ヶ月が経ちました。
もし私一人だけで釣りをしてたら・・・もうシーバス釣りは止めてたかもです(笑)

釣り場がわからない、釣り方もわからない、釣れない理由がわからない、などなどわからない尽くし

たくさんの人から刺激をもらいシーバス釣りを続けてきました。
シーバスタックルも一通り揃ったので打ち止めになりましたし(笑)



もう歳なんでしょうね。
私がバス釣りを時始めた頃。
14歳から18歳までの間、プロショップの方に琵琶湖に連れて行ってもらいバスボートに乗せてもらってました。
トーナメントのアドバイスをもらい、Jrクラシックの時は河口湖までも連れて行ってもらいました。
色々な出会いがありました


Gen君やHAWKS君を見て色々と懐かしさがこみ上げます(笑)

高校3年次と大学時代は、ラグビーのせいで(笑)バス釣りから遠ざかりましたが、社会人になってからまたバス釣りを始めて・・・給料をつぎ込みましたね(笑)
あ、もちろん時間も。神戸から出撃し、午前中は琵琶湖で釣りをして、午後から加古川に行ってましたから。
ほりぽん君やエリア君、マーシャル君を見てそんなことも思い出します。


O君という友達がいました。
同じ中学校で一緒にバス釣りを始めました。

でかくて、格好良くて、喧嘩が強くて、だけど優しくて。
頭はあまりよろしくなかったのですが(笑)、天性の勘と運を持つ男でした。

違う高校に進学したのですが、お互いラグビーを始めました
1年の時の最初の練習試合かなぁ。
あの彼が、その高校のキャプテンにスパイク(アルミのピンですよ・・・)でドカドカと蹴り続けられてる姿を見て、驚いた記憶があります。
理由は・・・彼は1年生試合の前に気合を入れるために1年だけで円陣を組んでたのですが、その輪の中にキャプテンが入るためだったような・・・




彼はやはり先輩と喧嘩して2年時に退部したのですが、3年で復部。
県中学代表ばかりの面子中、素人のままレギュラーになり、全国大会でベスト8になってました。
当然各大学からの推薦が来るのですが、「俺、勉強嫌いやねん」とそのまま就職。
その後、お互い接点がありませんでした。

ある日私が琵琶湖に浮かんでいると、彼が浮いてました。7-8年ぶりにあったのかな。
ランクル+レンジャー+200馬力を買い、JBマスターズを戦っているとの事でした。


その後毎週末のように一緒に釣りをしましたね。
彼は、残念ながらマスターズの50位から100位くらいを行ったりきたりしてて、当然金銭的に苦しくて・・・
当然ボートを維持できなくなったのですが、私は彼に自分のボートを自由に使って良いと言いました。
でもね、そんな人が何人かいるんです、彼の周りには。
彼には独特の人を惹きつける何かがあるんですよねぇ。


私の師匠も彼に惹かれ、私は自分のボートを使わずに、師匠と一緒に彼のボートに乗り、プラに付き合いガソリン代を出してました。つい、そうしてしまう魅力があるのです。
あいかわらず生まれもっての「何か」はすごかったです。




ババ荒れの琵琶湖を全開で飛ばす本能、トレーラーを引っ張りながら細い道を苦も無く運転する勘。
減水で、ボートをトレーラーに上げられないくて、途方にくれてるボーター達に「こうすれば良いねん」とトレーラにボートを勢いよくぶち込み、そのまま車に勢いをつけて水揚げする技・・・

「ガンダムを操縦する人って、こういう奴なんだろうな」と師匠と話してました。



彼には師匠はいませんが、おそらく彼に惹かれたと思われる師匠のようなバスプロがいました。
そのバスプロは腰を痛めていたために、彼と行動していることがありました。

河口湖や早明浦ダムまでそのバスプロのバスボートを引っ張って行ったり、そのまま一緒にプラをしたり。
私には、色々な理由の中で、彼に自分の釣りを見せているように思えました。
取材の時は彼を同行させて、少しでもメディアに出るようにされてる時もありました。
そのバスプロの連載記事には、彼が何度か出てきて、いつも「もっとがんばれ」と言うメッセージを感じました。
まぁ、彼は釣り雑誌を読まないんですがね・・・


他のあるプロは、わざわざ下のカテゴリーの二人のチームで戦うトーナメントに彼と出場してました。
彼を何とかしたかったんだと思います。
生野銀山湖でのその大会。私もプラに同行したのですが、生野銀山湖が初めてというそのプロ。
「タックル、琵琶湖のそのまんま持ってきたわ」と笑いながらブッシュから次々と45アップを引きずり出す姿は私にとって衝撃でした・・・
彼も何かを感じたのかなぁ。




彼はね、欲が無かったんです・・・
勝負師としての欲や執念がなかったんです。
逆にその欲の無さがたくさんの人を惹き付けたのですがね・・・


「今年結果が出なかったら釣りを止めるんや」

と彼が言った時、たくさんの人が彼をサポートしてました。
彼の師匠のようなバスプロ(弟子はもう取らないと公言されてるからなので語弊はありますが)も、本当に色々な釣りを彼に見せられていた記憶があります。

彼の大事な河口湖の試合が駄目だった時、電話がありました。

「あかん、40アップが獲れへんかったわ。むかついてX俗に行ったら、40アップのおばちゃんが出てきたわ」

と冗談を言ってましたが、まぁ、それが最後の年になりました。


うーん、歳だなぁ。
そんな事を思い出してました。


よし、明日もきっと良い日!


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